ゲシュタルトに出会って、人生を取り戻したはっちゃんが、時々の旅路の様子、想い、感じたことを記します。
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2017-01-07 (土) | 編集 |
雀2017
   猫の画像2


新年も7日目です。 七草粥でお腹をいたわっておられますか

太陽が 少し 北に移動して昇っています。
確かな変化を感じています。
日々、時々刻々 に千変万化しての出会いです。
今の出会いに生きている … 確かな在りようです。
足すものも引くものも無く ある …
陽光が当たっての温もり、車の走る音、雀のチュンチュン …


唯我知足


瞬間瞬間の事実・現実は、整って満たされて在りますね
今以外にない今  今にすべてがある今
善し悪しを超えた今  


井上義衍老師曰く
『「どうしようか」「こうしようか」と悩んでいる、と。
それは通常迷ってる、悩んでいることだと思っている。
そうじゃない。少しも迷っていない。
「どうしようか」という時、「どうしようか」ということがあるだけ。
「こうしようか」という時、「こうしようか」ということがあるだけです。
いろいろ、その先のことを考える。
迷っているのじゃなくて、考えの中にいるだけです。
考えの中で生活しているだけです。
迷っているのではない。
これからやることがあるから考えるのであって、やらないんだったら
考える要はない。
「石橋を叩く」という話がある。 あれは渡るために叩くんです。
渡らないのなら叩く要はない。
今の自分の在りようです。
考えとしての動き、その動きに教えられればよい。
動きとしての事実 に教えられればよい。
その動きに対して考えが動き、考え方で取り扱うのが人の常。
「痛い」ということ、「困ったな」ということがあっても、
それに迷うということはない。』
               井上義衍老師語録 22~23 P

考え方を重ね付けて、事実を壊すから迷ったり、悩んだりが生じる
ようです。

存分に頂き 味わい、今を楽しみたいものですね 





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