ゲシュタルトに出会って、人生を取り戻したはっちゃんが、時々の旅路の様子、想い、感じたことを記します。
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2016-10-03 (月) | 編集 |
新しい週のはじまりです。
いつも、何時もが新しい今。 
新しい自分です。

井上義衍老師語録に、毎日新しい出会いを頂いています。
今日は、『 実相に二つの姿はない 』です。

『 実相に二つの姿はない。 二つの姿がないから
ダマサレない。 人をゴマカさない。 苦労させない。
二つの様子があれば、修行してその様になる、
あるいは、今の様子はダメだから、これを取り除いて
本当の様子になる、こういう苦労と時間が必要に
なるかも知れないけれども
実相には、そんなことはない。
それだから「即心是仏」という。 「道本円通」ともいう。
修証を仮らない所以である。

耳に聞こえる音に実体はない。
その時の耳と音との様子で、その時に只聞こえる
ように出来ている。
音が止めば必ず影も形も、その音としてのものは
無くなるように出来ている。
こういう自分の様子があって、このように他人の話を
縁としていただく場合には、これは怒る対象にはならない。
このように縁が働く。

ところが、実体として在るものとして見る時に、
声や姿が入ってきた場合には、矢張りこれを実体のあるもの
のようにして執えてゆくから、いつも根切れがしない。
こういう見方しかできない。
そうすると、実体のない果(もの)としては頂けない。
実体のないサラッとした生き方は頂けない。

実相というのは、今の自らの様子、在り方だけです。
今の様子だから疑いようはない。
次から次へ変化しつつ、今の様子はなくならない。 』


何度も触れ頂く内に、理解の上からよく了解できるようになりました。
そして、職場の人との出会いでも、実家の継母との出会いでも、
言葉をことば通りに聞けて、サラッと受けることが出来、正す必要の
あるところは正すことが出来て、翻弄されることなく、楽ちんです。
例え、「バカ!」と言われたとしても、言葉通りに聞ける …
意味に捕われる必要が無い …
波立たないのです。 サラッとフラットに対応が出来る。
禅の仲間で認知症の方の介護に当たっている方が、
言葉通りに聞けるから、気持ちも汚染されることなく、
楽に爽やかに対応できると言われていましたが、
頷けます。

私たちの本来の在りようは、本当にシンプルに楽に
生きるように出来ている … というのが実相のようです。

今がすべて、今にすべてがあります。
どんな時、場も、これが生き時、生き場所です。
ただあるがままの自然 (じねん) 申し分ないです。

ナマステ

 猫の画像2



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