ゲシュタルトに出会って、人生を取り戻したはっちゃんが、時々の旅路の様子、想い、感じたことを記します。
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2016-06-21 (火) | 編集 |
オーロラ

夏至ですね。
地球が太陽の周りを公転するのに、地軸を傾けて作り出している
今日の日のようです。
素晴らしい営み、働きがあるようです。
ようですとしか解りようがないから、ただ有り難くこの時を生かして
頂いています。
生きて、生かされてあるこの生命体、そして大自然の営みの素晴らしさ
の中に在れることが、奇跡の連続のようです。
連続と捉えますが、瞬間瞬間です。
あ~り~が~と~う~ご~ざ~い~ま~す~

『目というものは、開いている限り人間に気に入ろうが入るまいが、
それが間に合おうが、間に合うまいが、そんなことではない。
この眼の様子は、向かえば皆違った顔に見える。
それが事実なんです。
違ったように見ようとしたんじゃないんです。
だけど、向かうと皆違ったものに見える。
そのように活動するものです。
人が考える以前の、大きな作用というものが本来備わっている。
そんなに人間の見解を離れた存在なんです。
それ故、何もかも、かなぐり捨てておいて、本当に赤ん坊のように
なって、そして、この自分の六感(眼、耳、鼻、舌、身、意)全ての
機能を機能のまんまに打ち任せておりますと、それに反応がある。
見える、聞こえる、匂う、味がするというように … 機能任せに
していると、人の見解とは違う大きな働きがあることが分る。
それが天然の様子なのです。それが必然の様子なのです。
ここに、人間の見解としての世界から全く離れ切った大きな世界
がある。
生まれながらにして具わっている仏性としての働きです。
自己意識を存しない解脱体としての自己の活動です。
仏道は、それを徹見する道です。
「オーイ」という、この一声、ここに全人類を救う重大な鍵があるのです。』
                        井上義衍老師語録より


坐禅は、赤ん坊のようにうち任せる入口として、日々大切にしています。

朝の大雨が止んで、今は青空が広がっています。
陽射しは強く、逞しく、エネルギッシュです。
2016年の昼間 が一番長い日。
よい時をお過ごし下さい

水連




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