ゲシュタルトに出会って、人生を取り戻したはっちゃんが、時々の旅路の様子、想い、感じたことを記します。
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2016-06-07 (火) | 編集 |
辻 光文 さん … 教護院で、問題児と言われる錨を下す
港を持たない子どもたちと暮らしを共にされ、いつも人の
心の奥の悲しみに目を向け、全身で受け止め、ご自分の
全てを与えてこられた方の 詩 です。

生きているだけではいけませんか
子供の頃から、役に立つ人になりなさいよ、人に迷惑を
かけてはいけませんよ、人のために、国のために、天皇陛下の
ためにお役に立つ人になりなさいよ。
私はそう親に教えられ、育てられてきました。
けれども15歳の夏、15年戦争が終わり、天皇は神さまから
人間となりました。
今頃天皇のために、命を捨てなさいと教える親はおりません。
人のため、国のためは、社会のためとなり、公共の福祉に
変わりました。
そして今、ここまで生きて来てフッと思うのです。
生きているだけではいけませんか。

何々のために、「役に立つ」ということばに、疑問が残るのです。
東洋平和、公共の福祉、そして今は国際平和維持活動に、等と
いいます。
それが奥深い人間の真実ですか。
漢字では人のためと書いて偽(いつわり)と読みますね。
目を閉じて静かに息を整えながら、生きているだけでは
いけませんか。
役に立つことが「死刑の罪を負ったお前でも臓器の提供が
できるのだ」「それが愛の行為です」と処刑前に説教され、
その死刑囚は頭を撃たれて殺されていく、といいます。
最近の東南アジアのある国の話しです。

愛の名において役に立つことが説かれます。
役に立つことがそんなに簡単に愛といえるのですか。
愛、真実の愛とは本当にそんなことですか。
役に立つって、その究極は何ですか。
何が、何に、何をするのですか。

世の中にはすごい立派な役立ちの人とか、
全く役に立たない、とよくいわれる人がいますが、
それは本当ですか。
その役立ちは「功績」といい、叙勲の名によってランク付け
されますね。
生きている人のいのちってそんなことでいいんですか。
「自分は人の役に立っている」というその思いのなかに、
ひょっとしたら傲慢とまではいいませんが、
何か、悲しい人間の自信がひそんではいませんか。

人は誰でも、いつの日か、何もかも喪失して、人に迷惑を
かけなければ瞬時も生きてゆけないそんな日が必ずやって来ます。
この役立ちの思想の延長線上でゆくと、いつかは、誰でも、
生きていることの価値を失い、生きる資格をなくします。
老いるということは、そういうことですか。
病むということ、呆けることはそんなことだったのですか。
その時にも尚 私は生きる価値、生きる資格があると言える人は
過って役立っていた時の貯金の清算をしている、そんな気ですか。

近年はボランティア活動が盛んです。
それも「情けは人のためならず」と、やがて自分に返ってくる
いいことをしておこうと、そう平然と言ってのける人もいます。
この諺までが、エコノミックな変な話になりました。

迷惑をかけるといいますが、生きていて迷惑をかけない人って
本当にいますか。
毎日毎日の、自分のウンコ、オシッコの、その行方を
あなたは知っていますか。
生きていることは、計り知れない人々に迷惑をかけてのこと
でした。 だからこそ少しでも「役立つように」ということ
だとおもいます。

けれども役立つ前に、生きる資格を言う前に、生きている
そのいのちとは何ですか。
今は空気も水も食べものも、みんな汚れて、地球そのものが
破滅の危機にあるのです。
それは知能の勝った人間たちの、人間中心の役立ち、便利、効率
と飽くことなく求めたその結果でした。
そもそも人間とは、そしていのちとは、この自分とは何なのですか。

「いのちはつながりだ」と平易に言った人がいます。
それはすべてのもののきれめのない、つなぎめのない東洋の
「空」の世界でした。
障害者も、健常者も、子どもも、老人も、病む人も、あなたも、
わたしも、区別はできても、切り離しては存在し得ないいのち、
いのちそのものです。
それは虫も動物も山も川も海も雨も風も空も太陽も、宇宙の
塵の果てまでつながるいのちなのです。
劫初(ごうしょ)よりこの方、重々無尽に織りなすいのちの
流れとして、その中に、今、私がいるのです。

すべては生きている … というより、生かされて、今ここに
いるいのちです。
そのわたしからの出発です。
すべてはみな、生かされている、そのいのちの自覚の中に、
宇宙続きの、唯一、人間の感動があり、愛が感じられるのです。
本当はみんな愛の中にあるのです。
生きているだけではいけませんか。』

86 歳のこの4月に 「天地いっぱいの空」 にご帰還なされたといわれる
辻 さんの晩年のお言葉です。
『お釈迦さんが本当に言いたかったことは、自他不二、自他一如
ということだったんじゃあないでしょうかね。
長い人生を歩いてきて、しみじみ思うのは、「自分もあの人もこの人も、
みんないっしょや」 ということです。こちら側に自分、向こう側に
他人と分かれて存在しているのではなく、初めから
"一つのいのち” なんですね。
自分と他者が分かれて存在していると思うのは、そもそも"迷い”
なんだとやっと気づきました。
私は子どもたちと泣いたり笑ったり、取っ組み合いしたり、
学園を逃げ出した子を探して一晩中かけずり廻ったりして
いるうちに、だんだんこの宇宙の理(ことわり)に気づかされ
ました。
私たちは何一つ切り離せない"ひと続きの世界” に住んでいる
んですよね。 驚いたのなんのって。
そのことに気づいて、今は感謝でなりません』
『(寝たきりになって)今はこうやってベットに寝ている
しかなくなりました。 こうして呼吸して生きているいのち
を見つめ、味わっていると、次第に見えてくるものがあった
んです。 生も死も別物ではなく一如、二つ別々に分ける
ことができない不二の世界でした。 
自分と他人は分けることができない"一ついのち” である
ように、何と生も死も分けることができない"一つつながり”
だったのです。
自分がそういう世界に息づいていることに気づいたら、
うれしくってうれしくって、涙がこぼれました。
だから、寝たきりになってよかった!と思うんです。
これがなかったら、ただ頭での解釈だけで駆けずり回って
いるだけで、本当には気づいていませんでした。
私の人生はあとわずかしかないけど"これから始まるぞ”
という感じがします。
こうしてあなたの手を握っていると、いのちのつながりを
感じるんです。
生きとし生けるもののいのちは全部ぶっ続きなんですね 』
(神渡良平公式サイトから一部抜粋)

KC431181.jpg
 
 ただただ 合掌 です。




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