ゲシュタルトに出会って、人生を取り戻したはっちゃんが、時々の旅路の様子、想い、感じたことを記します。
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2016-05-09 (月) | 編集 |
「現代人はどんなことでも知っている。
ただ自分を知らないだけである。
禅は自分自身を知る大切な日本の精神文化である。」
         
                井上義衍老師語録より

灯台もと暗しで、明りとして照らしてくれるものを外に探し求めて、
居場所、頼り・拠り所を外に求め、認め褒め愛してくれて自分の価値を
証し満たしてくれる人やものを求めて … 求めに求めて、時々に得られたり
殆どは得られなくって、劣等感に駆られてまた求めに求める …
肥大した自意識は、欠けているとダメ出し、自己処罰をして、終身刑
に課す … こんな生き方に苦しんで来ていました。
外にさがして探して、さがしあぐねて、苦悶・苦闘して慟哭して、
死ぬばかりになっていた時にも、片時も離れることなく、ただ居て
くれていた … 無条件にすべてを受け入れて、まるで居ないかのように
扱っても、どんな処罰・刑罰の中ででも、ほとんど黙ってただ居てくれた
存在。
私意識が邪魔立てをして、頭・考えを使うがゆえにわからなくしていた
ようです。 皮肉です。
本当の居場所・拠りどころ・頼り処、自分が無・空であるがゆえに時々の
必要がすべて満ちるこんな自己・宇宙の宝、自然・宇宙がこのものだって …
深いところでわかっていたのかも知れませんが、思い込みの自我世界で
暗中模索の状態でした。
TA、ゲシュタルトから禅に導かれました。
お釈迦さまの世界に … 本来それであるものに招かれ … 今もこの真っ只中です。
特別で特別じゃあない … 本当に不思議です。
訳ではわかりません。
勿論、今もわかりません。 わからないのがいいです。
ただ生きています … 認識・言葉を超えて …
滅茶苦茶の煩悩の中でも 即 菩提 で、救われているのですね 。
どんなに迷っても、迷いようのなさを生きている存在がちゃんと居ます
だから … 大丈夫です 

 KC431237.jpg
   龍泉寺で活けられていた芍薬です。





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