ゲシュタルトに出会って、人生を取り戻したはっちゃんが、時々の旅路の様子、想い、感じたことを記します。
2017-03-23 (木) | 編集 |
掛川少林寺の井上貫道老師のお話しは、シャープに本質を突いて
認識の上でも解り易いです。

井上貫道老師 東京都青梅禅会より
ご丁寧な紹介並びにご挨拶頂きましてありがとうございます。
それほど忙しい者ではございません。
暇だから出てきているので。
というのはですね、誰も一日は24時間なんですね、
だからそれを超える人もなければ、それよりも短い生活をしている人もない程、
あとは何処にいるかだけなんですね。
それで何処にいるかをよーく見ると、
皆さんどういう風に考えているか知りませんが、
掛川から東京まで来るの大変だねっていうけど、この身体ずーっと運んでいる
だけなんですね。
皆さん今日一日だってそうでしょう。
この身体がいろんなところに行っているだけじゃないですか。
それをよく見るといつもここにいるんですね。
ここというのはこの身体のあるところです。
自分がいるんですね。
そういう意味では行き来するものがないんです。
頭の隅で掛川と起点を置いて東京ってやると、掛川と東京まで大変だって思うけど、
この身体をずーっと見てると、ずーっとこの身体のあるところの様子だけがあるんですよ。
どこへも行かない。
そういうことが伝えたい事なんです。
間違いなくそうなんです。
そうすると忙しくなくなるでしょ?
あそこ行かなきゃ、ここに行かなきゃってそんな事無くなるじゃない。
今この身体のあるところのあり方をきちっとやって行けばそれで済む事でしょう。
それでこの後、坐禅をして頂くのだけども、坐禅について心構えという事だけども、
こういう事言ったらいいかと思うんですよね。
人は考えていない時に悩んだ事はない。
どうですか?
自分の中に考えが浮かばない時は悩まない。
どうですか?
そういう体験はわかりますか?
悩むっていう時には、あーどうしようか、あのときに、あの人と、、、
そうやっていろんな事思い起こして
考えてること、やり始めるとものがよくわからなくってどうしようかって
いうことになるんだけども
考えること止めている時はものすごく、クリアーでしょう、物事が。
で、何をするってことも必要のないくらい穏やかに、そこで生活していて
しかも自分のその内容が自分で手にとるように明確にわかって
疑いが一つもそこにはない。
そういうことで坐禅をすることは自分自身を見究めるってことなんでしょうね。
だから、最初から自分のそういう風な姿というものが今現前とありますから、
尋ねなくていい、それが坐禅のおもしろいところですね。
距離がないってことです。
今、間違いなく自分のあり方ですから、
その自分の間違いない自分のあり方がここにあるから、
それがですね、探さなきゃわからないようなものじゃあない。
ということですね。
坐禅をするとき、たずねない、
尋ねないっていうことは、距離がないっていうことですね。
これが坐禅の時の、どういう風にしているかっていう時にこういうことです、
尋ねない、
距離がない、
隔てがない、
これがですね、皆さん方にこういう話をしたときに、なぜか難しいんですよね。
なぜか難しく感じるんです。
それは皆さん、普段生活しているときに、必ず向こうに対象物を置いて、そして
それに一緒になるということをやっているんですねー。
そういう生活しかしてない。
だから対象物もないから、いきなり自分自身の様子ですから、そうすると
探さないということはですね、すごく難しいんですね。
探すほうが楽なんですね。
探すんだったらやることがあるから。
やることがあるといいんだけど、これ(坐禅)、やることないんだよー。
坐っていて、やることがないと、皆さんの頭の中がパニックになる。
どうしてパニックになるかというと、
何もしない、どうするんだろうって考えるからですよ。
それを止めるのですね。
そういう思考を止める。
そうすると、今こうやって身体全体で活動している動きがそのまま、そこにさらけ
出されます。
それを皆さんが見ることが、自分を見究めるって事になるんですね。 』
                     井上貫道老師の庵 まとめブログより

自分を見究める禅修行は、この上なく 楽で 面白く 生きがいに満ちています。
お坐りになりませんか !

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2017-03-21 (火) | 編集 |
お彼岸のお中日が過ぎました。
春が来ていますねぇ。
カフェの外席が賑わって来ました。
子どもたちも外遊びを楽しみ、通りの人もコートを脱いで、
春の装いになって来ました。
気持ちも軽く、ウキウキして来ます。

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ラッパ水仙に白モクレン、沈丁花も満開に咲き、香っています。

浜松龍泉寺の彼岸会法要は、檀信徒・参禅者で賑わい、
温暖な陽気を楽しみ、先祖に感謝のお参りや東日本大震災及び
熊本地震で被災された方、亡くなられた方々の安寧とご冥福を祈り
拝みました。
集う人々と共に、大きな祈りのエネルギーがひとつになってあること
を感じました。
お亡くなりになられた方々も、今生きて在るひとり一人と共に、彼岸・此岸
の区別なく 今に在ることを感謝と共に信じ味わう機会でした。
心安らぎ、満ち足り、かけがえのない今、生きて在る今を大切に
楽しんで、幸せに生きること・生きていることを、ご先祖、出会った人々、
草花たち、空とも分かち合って来ました。

生命・大自然はでっかいです。

様々な 体験をして 至福 の今です。

    この世に生まれた幸せ




2017-03-11 (土) | 編集 |
東日本大震災から丸6年、2,190日余りが経ちました。
あの時のライブは、残念ながらもう記憶の中にそれぞれの
在りようで残っているのみです。
そして、悲しみ傷みの痕跡を残しながら、救いでもあります。
手放したくなくっても、時と共に手放れて、癒えていきます。

今・ここのライブはもう二度と体験し得ない、生き得ないですね。
昨日と同じ今日はないのですね。
そして、昨日と同じ私ではあり得ませんね。
思いの中では如何様でも、実質は再びはないのですね。
これ程に、かけがえのない今・ここ、この時・瞬間です。
ここを生きていますね

サクランボの花が、3輪咲いているのを見つけました。
この地では、早咲きです。
三寒四温を経ながら、咲き戻ることなく次々と咲いてきます。
生命も、月日も 後戻りすることが無いのを、しみじみ感じます。
今・今・今 … 今 


井上義衍老師語録より (P152)
【 生まれながらに仏 】
『 顔形が違うように、全て自分と違いがある。
それなりに 「 世界でたった一つの尊い人 」「 天上天下唯我独尊 」
です。  他と比べることの出来ない存在者。
私共の、この身体は、人間の考え方で生まれたのではないのですから、
考え方を止めると、そのものの実物が見られるのです。 』


この世に誕生して66年余りのお付き合い、そして胎内では
35億年程 の歴史を辿って来ているのでしょうか。
意識してのお付き合いは … 1年365日を何年位になるでしょうか。
片時も離れたことが無いながら、余りにもこの存在に無頓着で
外ばかり気にして、翻弄されるように生きて来たことでしょうか。
本当に知らなさ過ぎます。
「 世界でたった一つの人 」「 天上天下唯我独尊 」であるにもかかわらず …
この人生を終わるまでに、この存在の実相に気づきたいものです。
このものが生きて在るのですから … これも欲なのでしょうが … ね


『 悟り体験をすれば、もう元には戻らないです
以後は、諸仏の過ごされた境涯というものをこの身体で楽しむことが出来るのです 』 
―井上貫道老師

   
 サクランボの花
  白くて小さな可愛いサクランボの花です。
サクランボの花2






2017-03-05 (日) | 編集 |
 2017、啓蟄

春が来てますね 
日の出が早く、日没が遅く、日が長くなりました。

正月明けから脱水と床ずれで入院していた88歳の継母
が 93歳の叔母と一緒の病院に転院をして 同じ病棟
になり、互いの家族にとって面会がし易く賑やかになりました。
弟夫婦に、叔母の娘である従姉、叔母の家の嫁さん
そして叔母にとっての妹夫婦が集って、病室がサロン
と化して、出会いを喜びあいました。

互いにとって在宅が良いとばかりは言えない、
助けを得られる工夫・調整もして 心地よく過ごせれば
そこが最高の場所になり得ることを実感しています。

遠路3泊4日で叔母の面会に来た従姉は、「多分これが
温かく血が通った母親に会う最後の機会になると思う
久方ぶりの面会だから … 思いっきり泣くからまず、
一人で行かせてね」 と先立っての面会を大切に愛しんで
いる様子でした。
叔母も入院 丸二年、脳梗塞後の失語症と麻痺で寝たきり
で、最近は酸素吸入もして 肩で呼吸している様子、
殆どウトウトトロトロの様子ながら、時にわかったのか
頷いたり、握手も出来ます。

縁あって家族になって、喧嘩もしながら育み合って
そして互いの成長と共に必然の別れも体験をしていく
二度と味わえない、生きることがない今日・今の出会い …
何とかけがえがなく 愛しいことでしょう 
これが日常で、生きているということなのだって、しみじみ
思います。

継母も元気よく、「世界を旅して来ているから何時お迎え
が来ても思い残すことはない」を口癖のようにして、それでも
わがままも言えていて、弟夫婦とも苦笑を交わし合って
います。

その弟は、この3月末で教職を定年退職し、4月からは
地区の市民館の館長勤めになる由です。
生みの母親とは4歳で病気入院の為に別れ、5歳で
死に別れていますが、よくぞ勤め上げたものと見上げて
います。
従姉から 「あなたの母親に頼まれて、離乳食を食べさせ
たりしてたのよ!」と聞かされ、「自分が今日在るのは
お陰さまなんだね!」
知らないでいた幼児期を聞かされ、弟も心熱くしているようでした。

縁が熟していく … 円熟していく … それぞれの出会いに
感じる味わいの深さ、美味しさです。

"生まれてくるんじゃあなかった ” と思っていた若かりし頃、
そして、それもすべて含めて、"生み出してくれてありがとう!
生まれて生きて、ありがたい ” と感じている今です 

生きて在る今・ここ、二度と生きない今・ここ を、 存分に
楽しみ 味わい 生きましょう 

  メジロのカップル





2017-02-28 (火) | 編集 |
2017年の2月最終日です。
昨日は、浜松龍泉寺の井上哲玄老師の奥様の
葬儀・告別式でした。
癌を病まれ手術もされて、1年半の病とのお付き合いで、
最期はご本人の希望が叶えられて、ご自宅で夫であるご老師はじめ
ご家族の皆さんに看取られて半月余り、この22日の朝に旅立たれた
由です。
80歳の生涯を、集った皆さんが"青空に太陽が輝く今日の日が象徴
するような人だった ”"春風となって優しく頬を撫でられて天に向かわ
れた…その天とは、別世界ではない、今ここにある天だ ”
"何時も明るく優しくまるで慈母観音のような人でした”
というように言われていました。
先代からの老師夫妻、そして哲玄老師、お寺さんに仕えられて、
おかれたところを生き場所、咲き場所として生き切り、咲き切った
豊潤なお人柄が浮かびあがり、味わいが沁みるようなご葬儀でした。
僧侶だけでも30人余り、そして檀信徒、禅会に集う者、一般の人たち
150人とも200人とも数え難い人たちが集って、そのお人柄を慕い
偲びました。
哲玄老師もやっと言葉にできる思いとして、亡くなる数日前に
「ありがとうございました。お世話になりました!」をお互いに交わし
あわれたと ご挨拶の中で言われていました。
また、息子さんであられる現住職の哲秀老師は、ご挨拶の最後に
生きているうちに言えなかった言葉として 「この世に生み出して
くれてありがとうございました。 あなたの子どもで幸せでした。
これを生きているうちに言えなくてご免なさい!」と万感込められて
泣きながらおっしゃられていました。
まだ高校生の末のお孫さんは、別れを惜しみ大泣きをし素直に
気持ちを表現されて、それを皆が見守っていました。
出棺から斎場でお骨になるまでを、大勢で昼食も一緒しながら
時を豊かに分かち合って、そして集った皆でお骨拾いまでオープン
に分かち合わせて頂きました。
大きな家族の出現でした。
大泣きをしていたお孫さんは、また笑いじゃれてもいました。
おひとりの存在を通して、またお寺という仏道を実践する場を
通して、生きること死ぬこと、さらに生死を超えて生きてあること
を実際に学ばせて頂く大きなプレゼントと、宿題を頂きました。

現住職の井上哲秀老師が「ご葬儀について」を示されたものです。
『葬儀とは生きているものの為にあるものです。私たちは生きて
いる限り必ず死というものに出会います。そして時には家族や
親戚、友人、知人、ペットなど大切なものとお別れしなくては
なりません。大切なものとの別れはなかなか難しいことです。
葬儀とはいのちの尊さを再認識し、別れゆくものをいつくしみ
感謝する機会であり、また「これでお別れをいたします」という
一応の区切りと「お別れが出来ました」という一応の安心を
得ていただくものです。そして私たちお坊さんはそのお手伝い
をさせていただいております。
お釈迦様以来今日まで仏教では死というものを扱ったことは
ありません。誰もが生老病死という大きな問題を抱え、その中で
「私たちは一体どうあったら良いのか」ということが宗教であり、
「本来の自己に目覚める」ということが仏教の目的であり教えです。
葬儀の内容を見てみましても生きているものと何ら変わりなく
語りかけお導きをさせていただいております。葬儀に立ち会う
ということは故人に代わってその内容をお受けいただくという
ことです。葬儀とは故人と共に私たち自身のことであり、また
決して死後の世界のことやまして世間でいうところの霊魂と
いったものを扱っているのではありません。
葬儀に際し以上のことを申し述べさせていただきます。』
追伸:【清めの塩】を霊魂など死を忌み嫌うという意味で用いて
いませんか?大切なものとのお別れでいったい何に汚れた
というのでしょう。何かを清めなくてはいけないものが付いて
いるのでしょうか。こうした誤ったとらえ方を廃止させていただく
ことへのご理解をお願い申し上げます。

長くなりましたが引用させて頂きました。
感動して満ち足りる葬儀告別式でした。
生きているこの時を生きることが、とっても嬉しく有り難く
感じる今です。

  しだれ梅2