ゲシュタルトから、禅仏道に入門しての時々の旅路を綴ります
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2018-01-20 (土) | 編集 |
  KIMG0093.jpg

不思議なことは、空気は見えず、掴めず、境界線を引こうにも引けないから、
私のものとできないし、奪いあえない。
そして生きる上で無くてはならず、満ち足りてあるってこと。

土地や物は、見えるし掴めるし取っても置けるように感じるから、
私のものとし易く、奪い合ったり分かち合ったりできるってこと。

同じ分量でも、分かち合えれば満足して満ち足りるし、
私のものとして抱え込もうとして奪い合えば、足りなく感じ苦痛を
味わずに済まず、戦いにまで発展しかねないってこと。

不思議ですね!

見え、聞こえ、味わえ、外界を身体感覚で感知でき、呼吸できている
この存在が持つ本来の能力は、何時も満ち足りてあるってこと。
気づけば豊かさを味わえ、気づきなく他の不足を感じるものに
フォーカスしたら、不安や痛みや苦しみを味わう機会も増すってこと。

不思議です。

   KIMG0088.jpg

 自然は奪い合っていないなぁ~ ね!





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2018-01-06 (土) | 編集 |
新年明けましておめでとうございます。
2018年も6日目です。
何時も一期一会ながら、このブログには半年ぶりで、ずいぶんご無沙汰でした。
禅・仏道を習って、毎朝40分坐禅をし読経をして1日を始めています。
今・ここの仕事、動作をし、時々の気づきを頂きながら生活をしています。

今日は、掛川少林寺の井上貫道老師 提唱質疑からの抜粋です。
【鳴いてるとおりの声が聞こえる】

『 参考になるかどうか知りませんが、こんな事を報告しくださった方がいる。
幼いころから自分の育った中で、カラスが鳴き始めて、カラスがいっぱい鳴き出すと、
なんか不吉な事が起こるとか、いろんな事を教えられて、小さいころからカラスの
鳴き声がすると、そのままじーっとしていられないような自分の状況があったっていう
ご年配の女性がいた。

私は大した力がないもんですから、「カラスが鳴くと、カラスが鳴いてるように聞こえる
のが普通なんだけどね…」っていうような話をしました。

で、五日間接心で坐って、最後の日にお礼かたがた独参をされた時に「ありがとうございました。
本当にカラスが鳴いた時にカラスが鳴いてるとおりの声がするだけだった。」って言ってました。
「八十何年生きてきて、ずっしり、どっかに重くのしかっかっていたものが、どうしたのか
知らないけど、どこにもなくっちゃった」って言った。
カラスが鳴いてるとおりの声が聞こえるようになったら、不思議だねぇ。

これ、坐禅ですよ、坐禅ってそういう風になってる。
なーんにもしないんだよ、それまではいろんな思いが付いてたんでしょう。
カラスが鳴くと、いろんな思いが沸き上がって、そういう風な生き方をしてたんでしょう。
要するにカラスの声を聞いてるんじゃないんだね、自分の中でいろいろ思える事を相手に
してたんだろうねぇ。
だから、思える事を相手にしてるから、そこに出てくるのあたりまえだよね。
だけど、カラスが鳴いてる声のとおり居てみると、本当に何もないんだよね。
払うものも、取り除く必要がないくらい何もない。

「どうして、こんなに楽になったかわからない」って、あたりまえの事じゃないの?最初から。
こんな簡単のような事だけど、人間て八十年もこんな事知らずに生きるんだよね、それで
苦しむんだよね、嫌な思いで。 』


五感を通して、今ある事実に生かされていくことを指導されています。
考え方をつけてそれで自分を苦しめている…このことに気づいていく
だけで、付きものがはずれて…本当にはついていなかったてわかるだけで
どんなにシンプルに楽になれるか…ただあるがままにあることの素晴らしさ
に生きることが出来るようになります。
禅の門をくぐって、存在の凄さ、ありがたさに日々新鮮に驚嘆しています。
今年も宜しくお願い致します。

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2017-06-04 (日) | 編集 |
『 いつでも今の様子だけです。
徹底して今の様子のみです。努力してそうなるんじゃありません。
だってそうでしょ、一瞬だって「今」から離れられるわけないじゃないですか。』

                       掛川少林寺 井上貫道老師

継母の見舞いを、入院先に自転車で行って来ました。
時間で計ると40分ですが、道中何時も" 今・ここ ” であると気づけば、
どこにも行っていない … まわりの景色はころっころ変わっても、この
私は今・ここから離れたためしがないことがわかり、時間もないことが
わかります。 
疲れがありません。
継母ともおはぎを一緒に食べて、「 子どもは男の子ばっかだったかね?」
と問うので、「残念ながら子どもは居らんだよ!」
「そいじゃあ、だんなと二人?」
「まあ、そんなもんだね!」
「家はこの近くだったかね?」
「豊橋から40分かけて自転車で来ただよ!」
「そうかん!今日はいい天気だね!」
たわいもない一期一会です。
私が誰かわからなくっても、愛しさは全く変わりません  
ありがとう が広がります。

ひよどりが、ひ~よ、ひ~よ、ピヨピヨ しきりに鳴いています。
今・ここは 安心・安楽です。

 ヒヨドリ







2017-06-01 (木) | 編集 |
5月29日~30日母方の従姉と高山に行って来ました。
存在は知っていたものの、母の死後50年余り一度も
会ったことのない従姉から一昨年のクリスマスに連絡を
もらって会ってから、姉妹のように親しんで今回の旅を
一緒するまでにお付き合いをもらっています。

一日目 上天気の中 高山の東山寺町を巡り、ゆったり静かな
心安らぐひと時でした。
お寺さんにあった言葉に身を正しました。

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頂いている生命を如何ほどに受けとめ、受け容れ、
生きて生かしきっているのか問われている …
一期一会を大切にしていますか ?
今しかない今の出会いを 生きていますか ?
生命からの問いかけに届きました。

宿では、三種類の違う温泉に着いてすぐに入り、夕食後に入り、
2日めの朝に入りと温泉マークさながら堪能し、また飛騨牛の
ステーキ他コース料理も美味しく頂き、生きて在る喜び・感謝
を分かち合いました。

2日めの新穂高ロープウェイを降りて見る穂高の山々、
笠が岳、焼岳など過って山登りを楽しんだ山々に出会って、
懐かしさを今に抱きとめる 心地 でした。

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   第二ロープウェイを降りて目にする西穂高岳です。

2日間の旅路の何時もが、今・ここ … 何処にいても生き場所
は今・ここ … 私はどこにも行かない 今・ここに居る …
他に 探す用もなく、尋ね求める用もない …
距離なく、隔てなく 今・ここに在る …
これを感じ、確認するものでした。

しばらくお休みしていたブログですが、また投稿致しました。
お読み頂き、再度貴方との 出会いを頂けましたら 幸いです







2017-04-28 (金) | 編集 |
禅の導きを頂いている井上哲玄老師の 師匠であり父君の
井上義衍老師の語録の一節に出会うことを日課にしています。
何度も目にしながら、その都度 ハッとする程新鮮な出会いを
頂いています。
今日は、「無門関」の著者 無門慧開の「平常心」 について

「平常心」 は、知にも属せず、不知にも属せず、人びとの思考という
方便が 何の役にもたたない世界である。
如何なる行動規範にも、学問にも、思想にも、信念にも、仏祖の言葉
にも、体験にも捉われず、 即今をそのまま肯う (うけがう) 生き方である。
そのようになる為の不安、迷い、苦しみ 等々を、わり切らず、解決せず、
手をつけず、取り除かず にチャレンジする 。
これらは 生きていることの 活き活きした証しである。
この時こそ 人間が 最も人間らしく 存在する。

春に百花あり  秋に月あり
夏に涼風あり  冬に雪あり 
若し 閑事の心頭 に懸るなくんば
便ち 是れ 人間の 好時節


と歌われています。

問題は解決を必要として、解決をするものだと … 学んで 来ているので
驚きです。
わり切らず、解決せず、手をつけず、取り除かずに … あるがままそのまま
の今 … 即今を生きる って。
行雲流水 の如く 捉われることもなく ただあるがままに 今を生きる …
問題を問題 のまま … 不安なまま、怖れのまま、迷いのまま、苦しみのまま、
怒りのまま、悲しみのまま、淋しさのまま、嬉しさのまま、楽しさのまま、喜びのまま …
解決をせず、わり切らず、手をつけず、取り除かずに …
瞬間瞬間の 出会い 一期一会を、ただ 感じ 在るが ままを 生きる 。
凄く 新鮮です

禅のエッセンスのようです。
知に属さず と言っていますが、知で捉えて 思考と言う方便 から
自由になっていない 私がいますが、これも わり切らず、解決せず、
手をつけず、取り除かずに … あるがまま まいりましょう!

ひと息ついて ただあるがままにある … この在るに気づいて
生きる という前に 見え、聞こえ、嗅いで、味わって、息して
生きて在る 生命の息吹き に生かされてまいりましょう!
平常心是道也

このブログも6 年目を迎えました。
表現したいことがあって始めましたが、最近は文章化するという
知的な作業が、生きてあることから 距離を置くようで、なじまなく
なりました。
そろそろ 終わりの時を 迎えているのかと感じています。
始まりも 終わりも 、ありがたいことです

とにもかくにも 元気で 今を 生きましょう






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